東京高等裁判所 昭和47年(ラ)767号 決定 1973年9月27日
抗告人
大塚紋蔵
外一〇六名
右代理人
角田儀平治
外七九名
相手方
東邦亜鉛株式会社
右代表者
田中直正
右当事者間の前橋地方裁判所昭和四七年(モ)第一一八号訴訟救助申立事件について、同裁判所が昭和四七年九月一八日になした決定に対し、抗人らから適法な即時抗告の申立てがあったので、次のとおり決定する。
主文
原決定中、抗告人木村博、前川仲三、白石保雄、神成春雄、柴山宗哉、小野文雄、小川イト、大塚仁、茂木昇、河井しん、河井清、大塚忠、峰岸伝之助、宮沢晴作、峰岸吉郎、木村兼吉、古達豊彦、川保正、湯井幸太郎、小川あさ、加部昇平、小野富八、依田よし、清水文雄、加部ちえ子、藤巻岩男、大河原定太郎、依田吉郎、中島富美、内川幸平、中島才一、中島喜一郎、中島桂治、松本浩、藤井隆二、滝沢芳郎、渡辺吉司、島田みや、佐藤登一、木村久男、滝沢淳、高橋たか江、中島キミ、桜井高次郎、佐藤うめ、戸塚一郎、白石辰石五郎、之助、庄田勇太郎、箕浦はる、白山田彦太郎、吉田久雄、大久保かつ、白石一郎、桜井笙太郎に関する部分を取り消す。
右抗告人ら五五名に対し訴訟上の救助を付与する。
その余の抗告人らの抗告は、いずれも棄却する。
理由
抗告人らは、「原決定を取り消す。抗告人らに対し訴訟上の救助を付与する。」との裁判を求め、その抗告理由は別紙のとおりである。
当裁判所は、当審において新たに提出された資料をも参酌して、次のとおり判断する。
一、民事訴訟法第一一八条にいう「訴訟費用」とは、救助される訴訟費用、すなわち「民事訴訟費用等に関する法律」所定の費用である。
権利を侵害されたとする者が、その救済を求める方途は裁判によらざるをえないが、その際、裁判所に納付すべきものとされている手数料である訴状に貼用すべき印紙代および裁判費用である証人の費用等が訴訟費用となるのである。
したがつて、右費用の額は客観的基準によつて法定せられ、その納付義務は、裁判所に対し、裁判その他の行為を求めると同時に発生し、事件の種類・内容(たとえば公共の福祉を目的とする訴訟であるか否か)、難易(たとえば専門的調査を必要とするか否か)により減免せられるべきものではない。
ただ、右の費用を納付できないために、裁判制度を利用できないことがあつては、裁判の機会均等を保障した憲法第三二条の精神に反することとなるので、裁判の結果が判明するまで、その費用の納付を猶予することにしたのが、民事訴訟法第一一八条である。
よつて、民事訴訟法第一一八条にいう「訴訟費用」が、右にいう手数料的性格をもつ費用および裁判費用に限局されることは当然の帰結でなければならない。
抗告人らは、同条にいう「訴訟費用」とは、訴訟を準備、遂行していくために必要不可欠な費用、すなわち訴訟提起準備および遂行のための調査研究費、通信連絡交通費、証拠収集費、書類作成謄写費、弁護士に支払う費用等をも含むものと主張するのであるが、その採るを得ないことは前記訴訟上の救助制度の趣旨ならびに訴訟上の救助の効果を定めた同第一二〇条に照し明らかである。
二、民事訴訟法第一一八条に「訴訟費用を支払う資力なき者」とは、訴訟費用を支払うときは自己とその家族の生活に窮迫をきたす者をいう。
訴訟費用は、前記のように公法上の負担金であるからその支出によって自己の日常生活に多少の制約不便をこうむることは受忍すべきである。
要は、自己およびその家族の生活維持に必要かつ不可欠な収入、資産を除いて自由に処分しうる収入、資産があるか、そして右自由に処分しうる収入、資産によつて訴訟費用を支弁しうるか否かによつて資力の有無を判断すべきものと考える。
右資力の有無の判断にあたり、救助申立人の本訴についての勝訴の確実性を参酌すべきでないことは民事訴訟法第一一八条但書に徴し明らかであり、また相手方の資力の有無を参酌さるべきでないことは、訴訟費用が裁判の結果敗訴者の負担とされたからといつて、これがために勝訴者の訴訟費用納付義務が免除されるものではなく、勝訴者は敗訴者に対し右費用の償還を請求しうるにとどまるものであることに照し明らかなところである。
しかし、右資力の有無の判断にあたっては、申立人のほか、申立人の訴訟の追行につき直接かつ一体となつて経済的利害関係を有する者がある場合には、その者の資力をも申立人の資力に加えて判断すべきである。これを本件についていえば、本件訴訟は農地の生産力低下による損害の賠償を求めるものであるから、申立人と同一世帯に属し、かつ、係争農地について農業に従事する者の資力は、申立人の資力に加えて判断されることとなる。
三、以上の見地に立つて、抗告人らの資力について検討を加えるにあたり、当裁判所は、本件においては、農民がその生活の基礎たる農地を汚染され、それによつて農地の生産力を低下させられたことを理由として、抗告人らが相手方に対し損害の賠償を請求するものであるので、この資力の判断については右生産力の回収等に特別の費用と労力を必要とする等特別の事情があるものというべきである。そこで、この見地に立つて、抗告人らの資力について考えるに、専業農家の場合には、一世帯(本人夫婦と息子夫婦が農業に従事するものとして)あたり一ヘクタール(約一町歩)以上の農地を耕作する者、兼業農家の場合には一世帯あたり年収一〇〇万円以上ある者は、訴訟費用を支弁しうる資力あるものと考える。
疏第一〇号証の二三、および四一によれば、カドミウム汚染田に対する体耕補償額は一〇アール(約一反)あたり金八万円であることが認められるから、抗告人らの耕作する農地(田および畑)の収益力は右に勝るとも劣ることはないものと考えられるところ、一ヘクタールを耕作する世帯は、自家で消費する若干の米・麦・野菜等を留保してなお年約八〇万円以上の収入があることになるからである。
そして、専業農家の年収八〇万円に相当する兼業農家の年収は約一〇〇万円とみて大過ないものと考えられるからである。
四、よつて、右基準に照らし、抗告人らの資力を検討する。
ところで、抗告人らの耕作面積に関する資料は三つある。一つは訴状記載の耕作面積であり、二つは土地、家屋名寄帳(疏第三六号証ないし第一二三号証、ただし抗告人全員についてのものではない。)記載の所有面積であり、三つは抗告人ら作成にかかる報告書(疏第三四号証の一ないし一〇八)記載の所有面積である。所有農地は特段の反証がないかぎり自作地と推定されるから、以上三つの資料については、最も多い面積一ヘクタールをこえるか否かを検討することとする。
次に、抗告人らの所得に関する資料は三つある。一つは安中市長作成にかかる昭和四六年度所得額の証明書(疏第一九号証の一ないし一〇八)であり、二つは同じく安中市長作成にかかる昭和四六年度の納税証明書(疏第一二四号証ないし第二二二号証)であり、三つは、抗告人ら作成に係る報告書、同添付安中市長作成に係る証明書(疏第二二三号証の一ないし第三二九号証、ただし証明書は抗告人全員についてのものではない)である。ところで年所得額一〇〇万円に対する市県民税額が四万三、〇〇〇円をこえることは考えられないから、以上三つの資料については、年所得額が一〇〇万円をこえるかそれとも市県民税額が四万三、〇〇〇円をこえるか否かを検討することとする。
しかして、右の方法により基準を適用した結果は、次のとおりとなる。
(耕作面積が一ヘクタールを超えるもの)
大塚紋蔵、峰岸正雄、湯井酉造、湯井勘三、赤見千代松、白石益雄、白石正一、小川盛恵、岡田治郎、大塚善一、岡田初男、小川実保、茂木治太郎、大塚葛造、宮沢貞安、峰岸八百吉、大塚徳次、白石宗三、神沢常吉、白石清一、岡田正治、大塚繁、宮沢喜作、茂木喜三郎、小川義市、小川益三、小川文治郎、前川正夫、赤見皆吉、赤見永吉、清水省七、藤巻良太郎、清水タキ、内川徳好、松本たま、渡辺春彦(松本たまと渡辺春彦は同一世帯につき合算)、藤巻卓次、小俣源造、藤巻文夫、内田正敏、中島修二、須藤加久治郎、松本好広、萩原博、
(年所得額一〇〇万円もしくは年市県民税額四万三、〇〇〇円をこえるもの)
大塚紋蔵、湯井勘三、小川徳良、小川盛恵、岡田初男、小川正三、内川義雄、松本たま、渡辺春彦(松本たまと渡辺春彦は同一世帯につき合算)、清水敬、藤巻卓次、松本良三、田中いね、中島忠平、伊早坂萬吉、
したがつて、右以外の抗告人木村博、前川仲三、白石保雄、神成春雄、柴山宗哉、小野文雄、小川イト、大塚仁、茂木昇、河井しん、河井清、大塚忠、峰岸伝之助、宮沢晴作、峰岸吉郎、木村兼吉、古達豊彦、川保正、湯井幸太郎、小川あさ、加部曻平、小野富八、依田よし、清水文雄、加部ちえ子、藤巻岩男、大河原定太郎、依田吉郎、中島富美、内川幸平、中島才一、中島喜一郎、中島桂治、松本浩、藤井隆二、滝沢芳郎、渡辺吉司、島田みや、佐藤登一、木村久男、滝沢淳、高橋たか江、中島キミ、桜井高次郎、佐藤うめ、戸塚一郎、白石辰之助、庄田勇太郎、箕浦はる、白石五郎、山田彦太郎、吉田久雄、大久保かつ、白石一郎、桜井笙太郎の五五名については、一応訴訟費用を支払う資力なき者と認めることができる。
五、よつて、右五五名の抗告人らについては原決定を取り消し訴訟上の救助を付与することとし、その余の抗告人らについては、本件抗告は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(満田文彦 鰍沢健三 鈴木重信)
抗告理由
第一、本案訴訟の遂行に必要不可欠な訴訟費用(原決定のいう「法定外費用」)は、巨額にのぼる。
一、民訴法一一八条にいう「訴訟費用」は、原決定のいうような訴状の印紙代、証人の費用等の民事訴訟費用等に関する法律所定の訴訟費用に限定されるべきではなく、当事者の訴訟準備および遂行のための調査研究費、通信連絡交通費、証拠収集費、書類作成謄写費等および弁護士に支払う弁護士費用等の訴訟を準備・遂行していくために必要不可欠な費用を含むものと解すべきことは原審および当審において、くりかえし、強調してきたとおりである。
もし、このように解さず、原決定のいうように、民事訴訟費用法所定の「法定費用」に限定し、訴訟印紙代およびその他の証人、鑑定の費用のみをその対象にとらえ、その原告一名当りの負担額は著しく小額であるからその「法定費用」を支払うだけの能力がないとは到底判断できないというのであれば、公害によつてその生活を破壊され、その資力に乏しい抗告人らは、原決定のいう「法定費用」の支払にも応じきれず、本件訴訟を断念するか、遂行するにしても右「法定費用」の調達のため、やむなく訴訟準備のための調査、研究を中止したり、弁護士に対する委任を断念するしかないであろう。
そうであれば、民訴法で定める訴訟救助は、画餅に過ぎず、裁判を受ける権利を実質的に保障しようとする訴訟救助制度の趣旨を根底から没却してしまうものである。その結果が不当であることは論をまたず明白である。
二、抗告人らが本案訴訟遂行のために必要とする訴訟費用は莫大な額にのぼることはすでに疎明ずみである。
疎第二二号証、三五号証およびその他の各疎明、本件申立の全体によつて本案訴訟の規模と性格があきらかになつており、それに照らせば、訴訟提起準備のための調査研究費、通信連絡交通費、書類作成謄写費、弁護士に支払う費用等々の合計が莫大な額に上ることはあきらかであるといわなければならない。
抗告人らは本案裁判において、昭和一二年以来の被告会社安中製錬所の拡張の歴史、鉱毒被害の歴史、つみ重なる被害のため抗告人らの農業経営と生活が次第に破壊され、人体被害の不安におびえている状況をつぶさにあきらかにする予定でいる。現在の被害の範囲、規模、その深さをあますところなく立証する計画でいる。排出される重金属類の有毒性や農作物に与える影響についても当然立証する。
これらのために、抗告人と代理人らは、多数の科学者と接触し、調査を依頼し、立証資料を作成準備しなければならない。その調査団の組織と活動に要する費用は、抗告人らが負担していかなければならない。さらに各図書館、市役所、県庁、農業試験所をはじめとする各研究所での文献資料の探索作業、借り出し、昭和一二年以来の新聞資料の探索検討、以上の謄写、安中と類似の公害地の比較調査活動に要する費用も多額である。
そして毎週のように数人から一〇人をこえる研究会、弁護団合宿、打合わせがもたれ、そのための交通費、通信連絡費、諸書類作成謄写費も必要である。
これら多額にのぼる費用をおもうとき、抗告人らには本件訴訟を遂行するに十分な資力は存在しないことは明白であるといわなければならない。
第二、原決定の「経済的能力」論の批判
原決定は「訴訟費用を支払う資力とは法定費用を負担しうる経済的能力をいう」としたうえ、「この経済的能力は申立人の所得と生計費、財産と負債の全般を総合して判断すべきである」とし「財産としては、不動産、動産、有価証券、預貯金等が考えられる。」としている。
原裁判所の右の考え方が不当であることについては、すでに繰りかえし述べたところであるが、さらに付言すれば少なくとも本件の場合いちじるしく不当である。その理由を次に述べる。
1、不動産について
各抗告人の所有不動産報告書(疎第三四号証)によれば抗告人らの所有する不動産は、いずれも農業経営に欠くことのできない田、畑、山林と宅地、建物である。田、畑が直接農業に不可欠なものであることはいうまでもないが、農業を営むにはこれに附随して若干の山林を必要とし、また宅地はある程度の広さを必要とし、養蚕の関係では、家屋も相当のスペースを必要とする。
これらの不動産についても、観念的には交換価値を考えることができるかもしれないが、それ自体抗告人らにとつては全く意味のないものである。何故なら抗告人らにとつてこれらの不動産を売却することは、農業の終りを意味し、同時に死を意味するからである。
現在前橋市などの都市周辺では地価が上り、農民が土地の一部を切り売りし、その金で家を建て直す、などということも行なわれている。原裁判所も自然そのようなことを意識したのではないかと思われるふしがある(たとえば、不動産の「評価も実際の時価を下廻ることは公知の事実である」という箇所など)。しかし、そのようなことのできる地域はごく限られており、抗告人らの住む土地は都市から離れ、しかも公害によつて汚染され誰も寄りつかない土地であり、地価の上昇など全くない。都市周辺の変貌とは対照的に、昭和二〇年代の農村の姿そのまゝなのである。
原裁判所は、あるいは、農地を切り売りしないまでも、これを抵当に入れ、金を借りることができるのではないか、と云いたかつたのかもしれない。しかし、これほど農村の実態と農民の心情を理解しない暴論はない。
事情は換価の場合と同様で、地価の値上りが全く見られない以上、抗告人らはたとえ数万円の借金をするにも多くの不動産を抵当に入れなければならない。農業収入は次年度の農業経営の経費に廻し、さらに生活費に充てると、常に一杯一杯の生活を続けている抗告人らにとつて、かけがえのない生産手段たる田畑、家、屋敷を抵当に入れることは何を意味するか。繰り返して云うが、昭和二〇年代で進歩変化を停止した抗告人らの地域で“とうとう田畑、家、屋敷を抵当に入れた”、と云われることは、それ自体重大なことであつて、抗告人らの耐えられるところではなく、そのようなことは不可能と云つてよい。
そもそも長い間公害におかされつつも、祖先伝来の土地にしがみつき、苦労を重ねたすえ、ようやく土地を守り公害をなくそうと立ち上りかけた抗告人らに「その土地を抵当に入れろ。」とは云い得ない筈ではないか。
2、動産について
各抗告人の所有不動産報告書(疎第三四号証)、大塚紋蔵の陳述書(疎第二〇号証の一)等によれば、抗告人らは資産とみられる動産は所有していない。抗告人らの所有する動産は、たんす、茶だんすのほか、小さな耕運機、脱穀機など生活、農業経営に必要最小限度のものであつて、換価はもちろん、担保に供し借金をすることもできないもののみである。
3、有価証券について
抗告人らにとつて有価証券などは全く縁もゆかりもない。抗告人らに「有価証券を持つているのではないか。」と疑うこと自体、貧しい農民生活と公害の実態をあえて無視しなければ、考えられないことである。
強いて云えば、有価証券券類似のものに農業協同組合の出資金領収書(一口五〇〇円)があるが、これが換価できないものであることは自明である。
4、預貯金について
抗告人らの大部分は農業協同組合に預金口座をもつているが、これは供出米の代金等が自動的に振込まれ、肥料等を買うと自動的にそこから支払われる仕組になつており、生活費も必要の都度引出して使うのであつて、全く農業再生産費と生活費の一時的滞留の場に過ぎない。とうてい、蓄えとしてとらえることのできないものである。また、たとえ蓄えとみられる部分があるとしても、それはたかだか数万円の域を出ず、家族の出産、疾病、進学等の際簡単に取り崩されてしまう性質のものであつて、抗告人らの生活に必要不可欠なものと云うほかはないのである。
以上の次第であつて、原裁判所が「財産」として不動産、動産、有価証券、預貯金を挙げ、これを「資力」の判断の材料にしようとしたことは、少なくとも具体的な本件の場合、甚しく不当なものであつたし、右に見たように、それらを考慮しても抗告人らが訴訟費用を支払う資力がないことは、明らかなのである。
第三、家族の収入を資力の判断にあたつて考慮することは誤りである。
一、訴訟救助法定における「訴訟費用を支払「資力ナキ者」の要件のうち、右「資力」の判断にあたつて、申立人(抗告人)と生計を同一にする家族の収入は考慮すべきではない。このことは、原審の段階より抗告人において、くり返しくり返し主張するところである。
即ち、わが国の憲法は第二九条において私有財産制を明言している。右私的所有権の承認は、近代国家社会の法体系の大原則となつているところである。わが国の民法及び民事訴訟法の規定も私有財産制の上に成りたつていることは論をまたない。従つて、抗告人らの資力の確定について斟酌考慮すべき収入は、抗告人ら本人の全収入をもつてたり、かつ、それで十分である。
抗告人らと生計を共にする配偶者及び成人の子供やその他の扶養義務ある親族が存在したとしても、抗告人らの個人にかかわる訴訟のための費用は、親族間の身分関係維持のための婚姻生活共助に直接奉仕するものではないのであり、夫婦間における協力、扶助義務、又は婚姻費用負担義務、親族間の扶養義務として、右訴訟費用の出捐を同人らに要求できるものではない。このことは、未成年者と親権者との間においても、本質的に変わるものでもない。
二、原裁判所は、抗告人と生計を同一にする家族が、抗告人とその家族のために拠出している金額の確定をするため疎明資料の提出を求め、また、原決定において
「なお本件におけるように、申立人が申立人と生計を同一にする一家の世帯主である場合には、申立人と生計を同一にする家族の経済的能力を現に申立人の生計に貢献ないし負担となつている範囲において、また、その家族と申立人との間に親族法上、扶養義務関係が存在する範囲において、申立人の経済的能力を増加ないし減少させるものとして考慮すべきである。」
と判示した。
ところで、親族法上の扶養義務関係が現実に発生するのは、親族のある者において、現実に扶養をうけなければならないような生活上の困窮状態に陥つた場合に発生する。そして、右扶養義務の履行として提供された金銭は、生活困窮者の生活資金として全て費消される性質のものである。このような収入を何故に、訴訟救助における「資力」判断の基礎にくみ入れる必要があるのであろうか。原決定の誤りは明白である。
また、そもそも親族法上の扶養義務関係の履行としての金銭を、訴訟費用に充当ないしは流用すること自体、前項で述べた通りなし得ないものである。
さらに、同居の親族が仮に抗告人らに生計費を拠出したとしても、それが抗告人らの「資力」判断の基礎になしうるのであろうか。抗告人らは全て世帯主として、自己の責任において一家の生計を支えている。通常の家庭において、またとりわけ農家において、世帯主の家庭内での占める役割は絶体的なものであり、他の同居人が拠出する生活費は通常たかが知れている。しかも右生活費は、その拠出した本人及びその家族の生活に見合つて支出されているのであり、従つて、当然のこととして、その拠出した本人及びその家族の生活費として、世帯主の名において費消されている。ここには、世帯主は「名」のみであり、その「実」は拠出した本人及びその家族に帰属しているものである。
それどころか、一家の世帯主としては、右拠出額以上に自己の責任において、同居の家族の面倒を見ているのが通例である。これが、日本における家族制度の実態であり、家庭生活の内容そのものである。同居の親族の拠出した生計費は、考慮し検討してみても、右内容以上の域を出ないのであり、従つて、これを抗告人らの独自の収入とし、「資力」判断の基礎になしえないのは当然である。原決定は、このような日本的生活の実態を全く無視しているものといわざるをえない。
第四、資力なきことの疎明は、すでに十分である。
抗告人らがいずれも訴訟費用を負担する資力なき者であることについては十分疎明されている。抗告人らが、あくまでも本件三、一一九、四〇〇円の印紙の貼用をしなければ、裁判をうけられないとするならば、抗告人らは本件訴訟を断念せざるを得なくなるであろう。原決定は、個々の抗告人の出捐する印紙額は、わずか一七、九〇〇円から五二、九〇〇円であるにすぎないから、右金員が出せないとは考えられないと単純にきめつけている。しかし、これは、抗告人らのおかれた実情を無視した暴論である。
抗告人らの所得は、年収三〇万円未満が四二名、三〇万以上七〇万未満が三八名七〇万以上一一〇万円未満一八名一一〇万以上一四〇万円未満八名、二〇〇万円台一名であつて、一人の者を除き、いずれも一四〇万以下である。又その一人の者も、わずか二三六万余の所得があるにすぎない。(疎第一九号証の一ないし四九および五一ないし一〇八)
抗告人らの所得で、抗告人らに何程のことができるか。農業の生産を維持し、自己と家族の生活を支えることも困難で、扶養されねばならない者も多いのである。しかも、抗告人らは、いずれも三〇年余もの間、多大の被害を受け続け、「余裕の蓄積」がなしえず、農業経営と、生活の基盤を疲弊破壊させられている。そればかりでなく、公害根絶のために、多大の労力と費用を出捐することを強いられている。農民が、そのわずかな現金収入から、次の農業生産の経費を出し、更に、配給米をとり、野菜までも他から購入し、自己の食糧をも現金で購わなければならなくなつているという事実をみれば、抗告人らが、いかに窺迫した状態に追いつめられてきているかを容易に知ることができるはずである。(疎第一四号証の一および二。同第二二号証等)
また抗告人らは、一〇七名が団結して、はじめて、公害を根絶し、自からの生命、健康、生活を守り、回復してゆく斗いに立ちあがることができた。そして、本件訴訟の提起も、こうした斗いに支えられ、団結してはじめてなしえたものである。しかも、その訴訟を維持し勝利してゆくためには莫大な費用がかかることは、既述のとおりである。会社の一方的な交渉打切にあつて、裁判しか道のなくなつた抗告人らにとつて、裁判にかゝる費用は、最大の難関であるといえる。訴訟を遂行していくための莫大な費用とエネルギーは、貧しい農民階層である抗告人らが、互いに相補いあい、出せるものができるだけ出してカバーしあつていかなければならない。
既述のとおり予想される費用の巨額さをおもうと、申立人らの右のような資力では、本件訴訟を遂行するに十分な資力がないことはあきらかである。
第五、その他の原決定の誤り
一、原審決定は、訴状自体から明白に被告人らが不動産を所有していると判断している(第四項一五行目)。これはおそらく、訴状添付の被害者一覧表記載の不動産を指して、これを被告人らが所有していると判断したものと思われるが、これは明らかな誤りで原審決定の粗雑さを示すものである。即ち、訴状(添付の被害者一覧表を含む)請求原因第一項一、第二項二、には「農地を耕作し」「耕作農地」と記載されており、被害者一覧表にも明白に「耕地農地」と記載されているのである。そして、それらは所有農地のみならず、賃借地、使用貸借地もかなり含まれているのである。
二、また原審決定は、右のとおり抗告人らが所有していると認定した不動産を評価するに当たつて、不動産報告書(疎第三四号証)を引用している。しかし所有不動産報告書には何ら不動産の評価額は記載されていないのであつてこれも明らかな誤りである。(記載されているのは名寄帳である)。記録の十分な検討がなされていないことをここでも暴露している。
更に原審決定は、右評価額は実際の時価を下廻ることは公知の事実であると断定し、抗告人らが、右評価額を相当に上廻る資産を有するものと乱暴にきめつけている。
しかしながら、これら名寄帳を抗告人らが提出した目的は、その評価額を疎明するためではなく、原審裁判所が抗告人らの所有不動産を換金あるいは担保に供して裁判費用を捻出できないかと補正命令で求めるので抗告人らの所有する不動産は生活の基盤である田畑であり、生活の場である家・屋敷であり、その他山林等も農業経営の生産財であつて換金できないものであることを疎明したり、またその所在地から判断して被告会社によつて汚染された公害地そのもので農業収入が満足に得られず公害のない農地の農業所得よりはるかに下回つた所得しか得られない農地であることを疎明するために提出したものである。
原審裁判所が書面による審尋で固定資産評価証明書によつて評価額を知りたいと考えて自からこの提出を求めたのであるならば何故「時価を下廻ることは公知の事実」であつて疎明力がないとの立場をとるのであろうか。原審裁判所は、申立を却下するために疎明資料の提出を求めたといわれても弁解のしようがあるまい。
三、原審決定は抗告人らの農業経営は兼業農家であつて農業所得の外給与所得等があると判断している。しかしながらこの兼業農家といわれる中には、世帯主である抗告人らが兼業であるという場合と、家族員が農業以外の仕事に従事しているという意味での兼業であるという二通りがあろう。前者の抗告人ら自身が農業以外の所得があるという意味の兼業については、抗告人らは高年令の世帯主で(五〇才以上六七名)でそのことだけからでも兼業の者はほとんどおらないことがわかる。また抗告人は既に各人別の所得証明書(疎第一九号)を提出済であり、この所得証明書には農業所得であれ、給与所得であれ全ての所得が含まれているのであるから、これによつて抗告人らの所得の疎明は充分であり、原審のような兼業農家云々の判断は不用の筈である。後者の家族の兼業の意味について考慮する必要があるか否かの点については前記第三項で明らかにしたとおり不用である。
よつて原審が兼業の農家であることを「資力ナキ者」の判断の参考にしたことは誤りである。
四、申立人らの提出した「所有不動産報告書」(疎第三四号証)は、いわば各抗告人の全資産についての報告書である。
抗告人らは、原審において、当初各人の資産については個別的に疎明する必要はないものと考えていた。けだし、これまで被害を受け続け、現在の収入は各人の所得証明によつて明らかなとおり極めて少ないのであるから、各人の資産は相手方会社周辺の汚染された田畑のほか殆んどないことが容易に推測できるからである。ところが原決定の裁判長は、抗告人、代理人らと面会した際、「農民といつても、現在では関とかいう人(注)当時農地の値上りによつて納税額が日本一となり、新聞に出た人)のような人もいますからね」というので抗告人らは、資産としては、居住している屋敷と田畑しかなく、しかもそれはすべて製錬所周辺の田畑であることを疎明する目的で抗告人各人について「所有不動産報告書」(疎第三四号証)と「名寄帳」(疎第三六号証ないし疎第一二二号証)を提出したものである。
即ち、抗告人の所有するすべての不動産は、各抗告人についての「所有不動産報告書」によつて明らかであり、そして右不動産はすべて安中製錬所周辺に存在することは各人の「名寄帳」によつて疎明されている。
また、抗告人の資産としては、他にこれという財産はないことも右疎明によつて明らかである。
また所有不動産報告書記載の宅地は、いずれも抗告人が現に居住している建物の敷地であることに留意されたい。
抗告人ら所有の右不動産がすべて生活の基盤をなしている農地及び家・屋敷であつて、売却したり、担保化しえないものであることは、各人の所有不動産報告書及び大塚紋蔵の報告書(疎第二一号証)によつて証明されているのである。
そして、農民生活の基盤をなす唯一の財産である右不動産が相手方会社安中製錬所の排煙、排水によつて汚染されたことについては、疎第一〇号証ないし疎第一六号証などを提出して疎明しているのである。
それなのに原決定は以上の疎明の趣旨を理解せず、唯一の財産である田畑がすべて汚染され、その一部は全く耕作不能になつている事実に故意に目を蔽い所有不動産報告書(「名寄帳」の誤りであろう)記載の評価額が低いことは公知の事実であるとし、一方抗告人の提出した所得証明については何らの資料を示さずに「特に農業所得については一定の推計により算出されることが多く実際の所得を下廻る場合が多い」と独断し、被害を受け賠償を求めているその農地を所有していることをもつて資力ありと認定したものである。申立人らは裁判所の求めに応じて資産としては汚染された田畑以外にはないことを疎明するため以上の各疎明を提出したところ裁判所はその疎明の趣旨を逆用して資力を認定したことは、申立人らを意図的に敵視する態度の現れと言わざるをえない。
五、前記のとおり、原裁判所は抗告人らの提出した疎明書類書面を十分検討していないが、そのことは昭和四七年九月二二日抗告状提出後、午後六時ごろから代理人と高田、宮川、篠原の三名が原裁判所の裁判長である植村秀三裁判官と面会した際一層明らかとなつた。すなわち裁判長は、「申立人らの農業所得についての疎明はあるが、給与所得についてはわからないじゃないですか」と発言したのである。代理人らが、疎明として提出した所得証明書は給与所得がある場合はそれを当然含んだ総所得の証明なのでありそのことは各証明書を検討すればただちに判明する筈なのである(なお、原裁判所書記官は、各申立人の収入、資産、家族等の一覧表を作成した。そしてその収入欄は事業収入、給与収入、その他の収入の三項目に分れているが、各申立人の所得はすべて「その他の収入」のところに記入されていた。原裁判所はこの一覧表を眺めたのみで実際には、個々の疎明にあたつてはいないのではないか、という疑問を抱かざるをえない。)
このことを代理人らが追求すると、裁判長は青ざめ、返答に窮し、しばらくたつてから、「私のいつた意味は、家族の給与所得についての疎明がないという意味なんです」と弁解したが、代理人らは裁判所の発言内容、態度からみて疎明に十分あたつてこれを検討していないことを確信したのである。